クリニックだより

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第八回 「年下の男の子」④…ハーツコムネット編

 長かった梅雨シーズンもようやく終わりました。梅雨明けと同時に猛暑が続いておりますが、皆様お元気にお過ごしでしょうか?
 さて、この「イケメンシリーズ」もいよいよ最終回を迎えました。今回ご紹介させていただくのは、フィナーレを飾るのに相応しく、このシリーズの登場人物の中で最年長の方で、弱電関連の仕事全てを一手に引き受けて下さった、株式会社ハーツコムネット社長の初見司さんです。
 昨年七月、やはり三木さんのタイムテーブルに沿って、弱電工事、電話番号等を含めてNTTへの申し込み等諸手続きの段階で、初見さんにお会いしました。前出の方々と同様に爽やかなイケメンでいらっしゃいますが、登場の仕方が今までの方とは180度違って、大変鮮やかなものでした。
 その日も、いつも打ち合わせ等で利用していたファミリーレストランの一角で、初見さんを引き合わせていただきました。髪を短くカットされ、きれいな歯並びがとても印象的な、清潔感溢れる爽やかな青年でした。初対面の挨拶に続いて、早速仕事の内容に話が移りました。「先生、できるだけ患者さんが覚えやすい番号をとの三木さんのご指示で、私の判断でこの番号を押さえておきましたが、いかがでしょうか?」彼の差し出した紙に書かれた番号に目を遣った瞬間、私はしばし「フリーズ」してしまいました。そこに書かれていたのは、当院が現在使用しているこの番号、0439-55-3333でした。運命を感じた瞬間でした。語呂合わせ(go go sun sun sun sun)といい、覚えやすさといい、これ以上のものには出会えないと思いました。物思いに耽っていると、初見さんのやや不安げな声がしました。「もし、ご意向に沿わなかったら、ほかの番号を取り直してきますが・・・」「いいえ、どんでもない!普通は取りたくても取れない番号なのに、良くこの番号が取れましたね!凄いですよ。初見さん、この番号だけで、三回はご馳走しますよ・・・」私がやや興奮気味に話し終えると、ようやく彼がホッとした表情を見せました。「最強」の番号を引っ提げての鮮やかなデビューでした。
 最近の新規開業において、院内設備(機械、電子カルテなど)をランケーブルでつなぎ、ネットワークシステムを構築して運用するのが主流になりつつあるようです。従って、建築もしくは内装の設計段階で弱電関連も視野に入れてトータルコーディネートしなければなりません。そのため、他社との打ち合わせの時にも何度もご足労いただいたり、大変お手数をおかけしました。また、工事関連だけでなく、通信機器の選定などについても親身に相談に乗って下さいました。業務用電話機を導入するか、親機と子機の台数調整、ファックス機は業務用にするかなど、それぞれのケースについて、丁寧な説明や意見をいただき、大変助かりました。待合室に設置する壁掛け式のテレビについても、「電気店に依頼すると工事費がかさむので、弊社のスタッフが弱電工事の時ついでにさせていただきますよ・・・」と、このように、初期費用の節約まで考慮して下さることも度々ありました。
 お付き合いが長くなるにつれ、いろいろプライベートな話もできるようになり、彼の起業の原点と私が開業を決めたきっかけがあまりにも似ていることに、更に「同志」のような親近感を覚えました。
 電気通信関係の学校で学んで、その後はNTT代理店、電気工事関連の会社などに勤務してきた初見さんが、お客様と接する中で、今までの職場と業界の慣習に不合理性を感じるようになり、改善しようにも一社員の身ではなかなか思うように進まず、それなら自分の信念に沿って自分のやり方で仕事をすると、一念発起し昨年4月自ら会社を立ち上げました。そして、私と会った時、彼はまだ就任3か月目の新人社長でした。それもあってか、出会った当初はまだ初々しく、緊張していたように見えた時もありましたが、半年後の昨年12月、当院にパソコンの設定に見えた時、コートを風になびかせて歩く後ろ姿は、もうすっかり頼もしい社長の風格を漂わせていました。
 仕事に関しては妥協せず、真摯に向き合い、思慮深い反面、かなりの恥ずかしがり屋で、やや慌てん坊な一面もあり、それがとてもほのぼのして、可愛く(失礼!)感じました。一時期、毎回のように、手や顔に絆創膏を貼ってきましたので、恐る恐る聞けば、飼っている愛犬に噛まれたり、引っ掻かれたりしていたそうです。捨て犬を保護して、自宅で飼い始めたが、まだまだヤンチャな子犬で少々手を焼いていたようです。「気を付けないといけない私が悪いんですけどね・・・」と、照れながら話す彼のまなざしは優しさに満ちていました。
 また、四人兄弟の中で育ち、十歳年下の妹さんがいらっしゃるからか、女性に対してとても優しく、紳士的で、しかも相手に気を遣わせずに自然に振る舞えるのが印象的でした。当院の若手スタッフが忘年会で初めてご一緒したら、すっかりファンになってしまったそうです。「初見さんは本当に紳士的な方ですね・・・私が座っているところに隙間風が入るので、場所を代って下さったり、お料理を取り分けて下さったり・・・素敵です」と、目をキラキラさせて報告してきました。
 先月、ほかの用件でお会いした時、ちょっとした世間話の中で、偶然、機械のデータ転送がうまく行かない件に話が及びました。初見さんの責任区分でないにも関わらず、原因の分析から、関係各社との調整までして下さり、後日の四社合同のトラブル解決につながりました。自分の担当分野でなくても、クライアントのために、真摯に仕事と向き合う姿勢が、彼のハーツコムネットの原点だったと、改めて確信致しました。
 会社のマネージャーさんの話によると、かなりご多忙で、徹夜で会社に泊まり込むことも度々あるとか。確かにスタートしたばかりの頃は、事業を軌道に乗せるのにご苦労も多いかと拝察いたします。大切なご家族のためにも、どうか健康第一にしていただきたいと思います。私も新人経営者として、「先輩」に見習っていこうと頑張りますので、これからもよろしくお願い致します。


【あとがき】「あいつはあいつは可愛い年下の男の子・・・」
 4回にわたる「年下の男の子シリーズ」、いかがだったでしょうか?
 もう少し気の利いた名称はないかと、一生懸命考えましたが、どうしてもキャンディーズの「あいつはあいつは可愛い年下の男の子」の歌声が耳元から離れず・・・遥か(?)年下とはいえ、こんなに素敵で、頼りになる大人の男性を捕まえて「男の子」呼ばわりするのは、やはり失礼ですよね。三木さん、保泉さん、城守さん、初見さん、改めて、ごめんなさい。
 今更、このようなことを言っても信じていただけないでしょうが、実は私は「超」が着くほどの筆不精なのです。「月一回は更新しよう」との取り決めを厳守(?)すべく頑張っておりますが、どうしても毎回毎回締め切り直前に2時間のやっつけ仕事になってしまっています。「サザエさん」の中の伊佐坂難物先生の気持ちが痛いほど分かりました。万が一にも文筆家になってしまっていたら、きっと毎日編集者の方と「かくれんぼ」になっていることでしょう。
 こういう訳で、毎回アップされた原稿を読み返しては思うのですが、書きたい内容の一割にも満たないような・・・怠けている私がいけませんが、それだけ、中身の濃い、充実した日々だったからとも言えましょう。
 このシリーズを書き始めてから、当院に営業で見えている業者の方々からも、時々話題に出されたりします。シリーズに登場している方たちのように、今お世話になっている業者さんの中にも、素敵な担当者が何人もいらっしゃいます。近い将来の「第二弾」に備えて、秘かに「取材」も続けています。ただ、「現在進行形」で一緒に仕事をさせていただいている方については、とても悩ましいのですが、公平性が保てなくなる恐れがあるため、なかなか書けないかもしれません。しかし、いつかはいろいろと理由をつけて、解禁したいですね・・・

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第七回 「年下の男の子」③…旭広告社編

 今年も梅雨の季節がやってまいりました。この時期は、風邪や胃腸炎が流行しやすいようですが、皆様お元気にお過ごしでしょうか?
 さて、「イケメンシリーズ」もいよいよ第3回を迎えました。今回は旭広告社営業部の城守泰成さんをご紹介したいと思います。
 開院の準備期間中、私は三木さんのタイムテーブルに従って、各方面の担当者の方と同時進行でほぼ月2~3回のペースで打ち合わせを重ねていました。このシリーズの「登場人物」の中で、日本光電の保泉さんの次に紹介されたのが、当院のホームページでもお世話になっている旭広告社の城守さんでした。
 ちょうど一年前の6月前半、やはり三木さん同席のもと、城守さんに初めてお会いしました。御多分に洩れず、こちらも物静かで、大人しそうな青年でした。三木さんや保泉さんとは背丈は大きく変わらないが、更に細身のためか、身長がもっとあるように見えました。この時、クリニックのロゴマークのデザインと求人について初歩的な打ち合わせをしました。(しかし、ここからが城守さんの「受難」の始まりだったとは、私も彼も思いもしませんでした。)
 それから、更に数回お目にかかって、関連事項について意見交換をし、その都度こちらのイメージ、要望をお伝えしながら、デザイン等の修正を重ねました。なかなか満足のいく結果に辿り着かなくて、お互いストレスを感じていたと思いますが、いやな顔一つせず、「分かりました。今のお話を持ち帰って、再度検討します。次回の日程を決めて頂けますか?」と、爽やかな受け答えでしたが、完全に打ち解けた10月頃、「あの時は胃がヒリヒリと痛かった」と「告白」してくれました。
 オーバーラップした形で、8月に入ってから、求人広告についても打ち合わせを繰り返しました。広告掲載の文面とデザイン、発行時期と範囲、書類選考及び面接通知に関わる文面など、その都度メールで数往復したり、面談したりしました。広告社に既存のひな形はあるのですが、応募して下さった方の気持ちを考えると、採用不採用に関わらず、少しでもこちらの感謝の気持ちが伝わるような文面にしたいと思い、かなりの部分を手直し、印刷に託しました。また、ちょっとした心ばかりの品も同封するよう手配していただき、これら全て通常より多い作業になったらしく、彼の負担を増やしてしまいました。
 9月上旬の最終面接日、城守さん、三木さんと一日がかりで二十数名の方と面接しました。分刻みのスケジュールの中、昼食の買い出しの時だけがホッとできる一時でした。この時、一緒にコンビニ弁当を頂きながら、心理的な距離がぐっと近づいたのを実感しました。4歳の娘さんをとてもかわいがり、一緒に「アナユキ」の遊びをしていることも初めて聞き、子煩悩の一面を垣間見ることができました。それからの日々と言えば、彼の今まで隠されてきた素晴らしいユーモアのセンス、会社の野球部でのご活躍、宴会幹事としての素顔(こちらのほうが本当の城守さん?!)を見聞きすることができるようになりました。
 いろいろ苦労をさせてしまった分、私のこだわり、好みもだんだんご理解頂けるようになったと感じました。10月の最終追い込み時、ちょうど私が諸用で海外に行かなくてはならない時期でしたが、ほぼ「丸投げ」し、「あなたを信じているから、すべてお任せするわ」とだけ言い残して出発しました。戻ってきてから、彼ともう一人の若手担当者が緊張の面持ちで診察券のデザインを差し出しました。「これでいかがでしょうか?また直してきます…」。私が3秒間サンプルを見つめた後、「うん、良いんじゃないの?」と答えた時の彼の驚きの表情は、とても微笑ましくて、今でも鮮明に目の前に浮かんできます。「えっ、これで良いんですか?!」また延々と「文句」を言われると覚悟していたらしく、すんなり第一案が通ったことですっかり拍子抜けの様子でした。(失礼ながら、その時の反応がとても面白かったです。)
 結果、無事すべての広告関係のデザインが決まり、前半の苦労が嘘だったかのように、その後の電柱広告、ウェブデザイン、印刷物全般の最終構成など、トントン拍子で進みました。これもすべて城守さんの辛抱強い采配のおかげだと承知しており、心から感謝しております。また、求人についても予想外の「事件」があったものの、とても頼りになる素晴らしいスタッフの方々に出会い、今みんな一丸となって頑張っております。
 前出のお二人同様、仕事のコンビは一旦終了したものの、ここで「さよなら」するのは大変惜しい方々なので、こちらからお願いして、今でも時々クリニックの行事にご案内したりし、「お友達付き合い」をさせて頂いております(皆さんにとっては迷惑かもしれませんが、そこは大目に見て頂いて…)。
 仕事を共同で進めていた時期には、あまりプライベートな話題に触れませんでしたので、今回のおたよりを書くに際し、城守さんにも少し「インタビュー」をさせていただきました。大学卒業後、住宅メーカーで営業の仕事を長年こなし、5年前に旭広告社に入社、今までの経験を生かす形で、営業畑を歩んできました。小学校教師の奥様と共働きで、朝、お子さんを保育園に送っていくのが彼の担当だそうです。また、つい先月に二人目のお嬢様がご誕生(どういう訳か、このグループでベビーブームが続いています…おめでとうございます!)、家庭内でたった一人の男性である立場に「ますます立場が弱くなってしまう…」と心配されているようです。奥様、お嬢様方、どうか優しくしてあげてください。
 余談ですが、血液型が同じだからか、城守さんはこのメンバーの中で唯一私の「毒舌」と「意地悪な」ジョークにさらっと対抗できた方です。言葉で表現するのは難しいですが、実に「あっぱれ!」と思わざるを得ないような見事な切り返しが多いです。機会があったら、副業で漫才のコンビでも組もうかと思っている今日この頃です。次回訪問時の「新作」に期待していますので、「ネタ」を是非考えてきてください。


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第六回 「年下の男の子」②…日本光電編

 4月前半の目まぐるしい天候の変化も一段落し、新緑の葉が茂る季節になりました。皆様お元気にお過ごしでしょうか?
 今回は、前回に続いて「イケメンシリーズ」の第二弾をお送り致します。ご紹介させていただくのは、クリニックの設備一式の選定、納品を一手に引き受けてくださった日本光電東関東株式会社コンサルティング&ソリューション課の保泉剛さんです。保泉さんはこの4回シリーズのメンバーの中でも、また当クリニックのスタッフと比べても最年少の方なのですが、一緒にプロジェクトを進めているうちに、はるか年上の私でさえ時々「どっちが年上?」と錯覚するほど、安心感と信頼感を与え、緻密に計画を練っては状況に応じて代替案も用意してくださり、後半はほぼ全てお任せ状態の頼もしい存在でした。
 ちょうど一年前の4月に、三木さんとの打ち合わせに、保泉さんと上司の林さんも同席されました。初対面は特段強烈な印象はありませんでしたが、物静かな、控えめで真面目そうな青年だったと記憶しています。また、上司同席のためか、少し緊張しているようにも見えましたが(後日ご本人から打ち明けられたのが、「人見知りするのです・・・」でした)、落ち着いた口調で丁寧に説明やヒアリングをしてくださいました。そして、翌日、ビジネス文書のお手本ともいえるような、パーフェクトな敬語使いと読み手の気持ちを和ませる柔和な文面のメールを頂きました。それからはというと、電子カルテ、医療機器のデモストレーションや、什器などの選定が、テンポよく日程を組まれ、こちらのこだわりや、細かい「注文」にも快く応えながら、プロとしてのアドバイスも臆することなくくださり、おかげで最初から本音で率直に意見交換ができました。
 我々臨床医が患者さんと接する際においてもとても大事な心掛けですが、誠実に、真摯に、スピーディかつ丁寧に、レスポンスは早く、フットワークは軽く、相手を安心させ、受け止める・・・自分がクライアントの立場になってみて、これらすべてのファクターを兼ね備えた保泉さんにとってコンサルタントはまさに天職のように思えましたし、自分自身が長年の「慣れ」でおろそかになってしまった部分についても初心に返ることができ、見習うものが多かったように思います。
 仕事と言えばそれまででしょうが、ほぼ2週に一回の打ち合わせ、こちらの都合でデモストレーションの日程はほとんどすべて休日、什器の選定は一日がかりで東京のショールームに同行、電子カルテの選定で決めかねて二度目のデモを設定してもらい、搬入時に私の代わりに連日現場で立ち会い、開業後もフォローアップにおいでくださる・・・「感謝」の二文字では到底表現し切れませんが、本当に大変お世話になり、深く感謝しております。
 二十数年間循環器畑で歩んできて、日本光電の方とも、他社の方とも、ご一緒させていただいたことがありますし、優秀な担当者にも何度か出会いました。その中でも、今回の出会いは今までと違い、時間的にも内容的にも密度が濃いからかもしれませんが、担当者に対しても日本光電という会社に対してもとても親近感を覚えました。一人の社員の努力によって、その方が背負っている会社に対してこれほど親しい感情を持つようになるとは、私自身も少し驚きました。
 笑い話のようなエピソードがありました。11月の開院と同時に、業務がコンサルタントから営業担当へ引き継がれますが、良好な関係と雰囲気もそのまま引き継がれています。和気あいあいの一か月目の後半、担当者のNさんに、ある日言われました。「先生、保泉、保泉とばかり言わないで、私も保泉並みに機械のことが分かりますから、私にも聞いてください!」どうやら無意識のうちに彼のプライドを傷つけてしまったらしいです。「Nさん、あなたの努力は評価しますよ。でも、保泉さんと同じレベルの信頼関係になるには、短くて半年・・・一年はかかると思いますが・・・」私が申し訳なく言うと、すかさずにNさんが畳みかけました。「先生、私、三か月から半年でやって見せます!」「ほー、ガッツがあるじゃないの・・・頑張ってね!」と励ましたものの、そんなに簡単に達成できるものではないぞ・・・ちなみに、Nさんは5か月の任期中、「ノルマ」をまだ達成できないまま、この4月から転勤になってしまいました。
 日本光電はどのようにしてこれほど優秀な人材を育てたのか、それともご本人のもともとの資質による部分が大きいのか、はたまた両方なのか、気になっていろいろ「インタビュー」をしてみました。あまりご自分のことを多くは語らない方ですが、話をつなぎ合わせると以下のような内容になります。
 高校時代から、ファミリーレストラン、クリーニング店、スーパーマーケットなどでアルバイトの経験がありますが、ただ言われた仕事をこなすだけではなく、どうしたらより良くなれるか、より売り上げが上がるか、考えながら進めるのが好きで、「趣味」が高じてスーパーの陳列方法を改善し、箱形陳列の立て、横、高さをすべてそろえた美しい仕上がりをとことん追求したこともあったようです。また、アルバイト時代も日本光電に入社してからも、常に上司、先輩に可愛がられていたようです。ご本人は「とてもいい上司、先輩に恵まれました」と謙遜なさるが、私が上司だとしてもとても目をかけたくなるような、素直な性格の持ち主で、その上大変な努力家とお見受けしました。入社当初は営業職で、「人見知りで実力がないし、最初は先生方の応対に震えていましたもの」とはおっしゃっていましたが、三年目からは兼務でコンサルティング業務もこなすようになったところを見ると、大変な努力をしたことも覗えますし、彼を抜擢した会社、上司の方もまた「伯楽」であったと拝察いたします。つくば営業所から千葉に移ってから、益々多忙になってきているようですし、またつい最近二児の父にもなったそうで(おめでとうございます!)、公私ともに今まで以上責任が重くなるので、どうか健康に気を配って、更なるご活躍をお祈り致します。


【あとがき】加点法、減点法、そして「ジェラシー」・・・
 本題から少し逸れてしまいますが、微笑ましい出来事がありました。
 「クリニックだより」を作成するにあたり、4月中旬、日本光電東関東の会議室で、「被写体」の保泉さんに少し話を伺いました。その際、ちょうど新しく着任された営業担当者と上司のO所長が社内におられ、会議室へ挨拶に来られました。名刺交換と自己紹介後、O所長の第一声は、「先生がご開業されるまで、弊社のコンサルタントがお手伝いさせていただいて、お蔭様で良好な関係が築きあがったようです。そこはとてもありがたいのですが、同時に我々営業にとってはジェラシーを感じるところでもあります。これからは、少しでも近づけるよう精進しますので、よろしくお願い致します。」うーん?どこかで聞いたようなセリフ・・・昨年11月、内覧会の打ち上げパーティで、保泉さんを弟のように可愛がっていた三木さんでさえ冗談交じりに「保泉さんにジェラシーを感じる」と言っていたような・・・。そういえば、前任者のNさんとその上司のY所長も、「ジェラシー」という言葉こそ使いませんでしたが、同じ趣旨の発言をなさっていました。なるほど、仕事以外の情報までしっかり引き継ぎをされましたね。恐れ入りました。
 「加点法」、「減点法」の話を心理学の本で読んだことがあります。初対面の時、悪い印象を与えたにもかかわらず、後日それを上回る何かがあると、次々「加点」され、相手から高く評価されるようになります。逆に、第一印象が大変良い人は、その後の付き合いにおいて欠点が徐々に露呈すると、次第に「減点」され、評価が下がるといった内容でした。今回の、日本光電さんとのお付き合いにおいて、スタート時点での評価がパーフェクトに近いものなので、後に続く方にとってはハードな「戦い」となってしまったわけですが、どうか、その「ジェラシー」を原動力にして、当クリニックと私にとって、保泉さん以上の存在になれるよう、チャレンジしていただきたいですし、また、私と致しましても、これからも厳しく(?)、かつ温かく見守らせていただければと存じますので、今後とも末永くよろしくお願い致します。


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第五回 「年下の男の子」①…医歯薬ネット編

 お彼岸も過ぎて、春らしい陽気が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
 しばらく、「硬い」内容が続きましたが、今回から、4回シリーズで、少し「柔らかい」話題をお送りしたいと思います。クリニック開院までの準備期間中、私が出会った素敵な30代の「イケメン」の方々について書かせていただきます。
 始まりは一昨年の11月でした。数年後は開業することもあるだろうと考え、勉強するためにたまたま千葉で参加したセミナーで、医歯薬ネットの森田社長、コンサルティング部の三木次長に出会いました。実際に開業支援の契約をし、プロジェクトをスタートさせたのが昨年の春で、それから次々に関連会社の優秀な若手に出会い、サポートを頂きながら、力を合わせて君津サンクリニックを作りあげて参りました。この方々がいらっしゃらなかったら、今のクリニックは存在すらしなかったと言えましょう。
 4回シリーズの初回は、直接担当して下さった医歯薬ネットの三木崇史さんをご紹介したいと思います。
 初めてお会いしたのは千葉のあるホテルのセミナー会場でした。森田社長のカリスマ性溢れるレクチャーの後、個別相談の時間が設けられました。講演中に演者へのレスポンスやアイコンタクトが良かったからか、なんと社長さん自ら私の席においで下さり、いろいろとお話ができました。その時、終始隣で寄り添っていたのが三木さんでした。やや日焼けしたような肌(後日ご本人曰く「もともと色黒です」)、顔の彫が深く、物静かな感じの青年でした。森田社長とお話をしていた間、ずっと静かに聞いていて、あまりこちらに質問をしたり、アピールをしたりしてこなかったので、いざ数か月後に担当に決まったと聞くと、「このような大人しくて若い方で大丈夫なの?」と思ったものでした。
 ところが、その後の「ギャップ」が素晴らしかったです。なんとこの方、若かりし頃は浦和レッズ所属のJリーガー、引退後不動産関係の仕事を経て、4年前医歯薬ネットに中途入社しましたが、すでに開業のサポート案件を20件以上こなしたとのこと。御本人曰く、「一番心を砕いたのがいかに良いチームを作ること。自分はサッカーをしていた時でも『なんでも屋』(すべてのポジションを務められる)だったが、コンサルタントの仕事においても『なんでも屋』を心がけていたのです。」実際、診療圏調査、物件の選定、不動産の交渉と契約、銀行との折衝、関連各社との調整、採用選考、諸手続きの立ち会い、最初から最後まで担当して下さいました。これは、段階ごと担当が引き継がれることになっている医歯薬ネットではめったにないケースだそうです。
 更に、プライベートにおいてもなかなかよき夫、よきパパのようです。思い込みで大変申し訳ありませんが、プロのスポーツ選手と聞くと、どこか遊び慣れているイメージがあるのですが、この方は10代の選手時代から10年間お付き合いした後、奥様と結婚され、二人のお子さんの保育園送迎や病院の通院も当たり前のようにしているそうです。
 もう一つ、不思議なご縁を感じたのは、十歳以上離れていますが、三木さんと私は誕生日が同じなのです。このことも、昨年の夏にお聞きしたのですが、暑気払いの席で、「お預かりした先生の履歴書を見て、思わず三回繰り返して確認しました」と聞いて、私もびっくりしたのを覚えています。同じ誕生日だからか分かりませんが、確かに「同志」のように、気を遣わずに済み、仕事はとてもしやすかった印象でした。
 この春、彼は更なるステップアップを求めてチャレンジを始めると、先日の新年会で報告を受けました。三木さんのこれからの更なるご活躍を心よりお祈りいたします。
 ほかに、日本光電の担当コンサルタント、広告社の担当者、ネット環境の若手社長さんにも、大変お世話になり、次回以降のおたよりで続きを書きたいと思います。是非ご期待ください。


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第四回 明天会更好 (Tomorrow will be better)

 皆様、ご無沙汰致しました。年末の更新以来、すっかりさぼってしまい、大変失礼致しました。折しも先週、旧正月だった時期に、地区医師会、歯科医師会と君津市共同主催の新年会があり、また、来週はクリニック開設時にお世話になったコンサルタント、関連会社の方々との新年会が予定されております。遅ればせながら大変恐縮でございますが、新年のご挨拶を申し上げさせていただきます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
 開院しておよそ4か月、たくさんの患者さんやご家族の方とご縁があって、触れ合うことができました。がんの末期の方を支えるご家族、一生懸命病と闘うも時には弱気になってしまう患者さん、喘息発作の子供を毎晩世話して心身ともに疲れてしまうご両親、保育園に通うわが子の病気で度々休むことを余儀なくされては職場で肩身が狭いと感じる母、認知症のご主人を献身的に介護する奥様、不登校の子供のことで悩んでいる保護者、失恋の痛手で不眠や胸痛の症状が続いている若い女性、友人関係や親子のすれ違いで悩んで心身に不調を来した小中学生・・・その度に、病を診るだけではなく、少しでも皆さんの気持ちに寄り添えたらと切に思いました。そういう想いも込めて、今回は是非お聞き頂きたい三大チャリティー・ソング(公益曲)をご紹介致します。
 ちょうど今から30年前、アメリカでは、マイケル・ジャクソンをはじめとする錚々たるアーティストたちが USA For Africa を結成し、「We are the world」という永遠の名曲を世に送り出しました。
 同年10月、呼応するように、台湾では、翌年の「国際平和年」(International Year of Peace)に捧げるべく、60名の有名歌手による合唱曲「明天会更好」(Tomorrow will be better)がリリースされ、世界中の中国語圏で最も熱唱される歌となりました。
 翌1986年、中国大陸でも、「国際平和年」のため、「大陸流行音楽第一人者」郭峰などによる作詞・作曲で、三部合唱曲「譲世界充満愛」(Let the world be full of love)が完成し、一大ブームを巻き起こしました。当時、私はちょうど大学生で、留学生寮の友人たちとこれらの曲を一緒に口ずさんでいたのを良く覚えています。
 音楽に国境はないと良く言われますが、まさにその通りだと身をもって実感しました。たとえ歌詞が分からなくても、その慈愛に満ちた旋律に接していれば、自分自身もよりピュアに、優しくなれた気がします。インターネットなどでそれぞれの歌詞の日本語訳や、オリジナルMVが多く出ており、興味のある方は、是非検索してみてください。
 あまりそう見えないかもしれませんが、私自身も皆さん同様に、いろいろと失敗や挫折を経験し、数々の試練を乗り越えて、何とかここまで来ることができました。人生において、思うようにならないことが八、九割で、それでも、今日という日を真摯に、懸命に生きれば、必ず夜明けが来て、より良い明日を迎えることができると、この歌をもって、皆さんと励まし合いたいと思います。
 明日はたぶん、いえ、きっと、もっと良くなる! 明天会更好(Tomorrow will be better)!


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第三回 「ゆび募金」と国境なき医師団

 皆様、寒くなって参りましたが、お元気でいらっしゃいますか?
 今回は自動販売機の設置についてご報告致します。実は、本日、クリスマス・イブに、クリニックの敷地内において、飲料の自動販売機を設置する工事が予定されています。その経緯について少し書きたいと思います。
 皆さんは「国境なき医師団」をご存知でしょうか?最近、エボラ出血熱のニュースで、耳にすることが多くなりましたが、まだまだ詳しくない方のために・・・

 国境なき医師団(Medecins Sans Frontieres=MSF)は、 中立・独立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う民間・非営利の国際団体で、1971年に設立し、1992年には日本事務局が発足しました。MSFの活動は、緊急性の高い医療ニーズに応えることを目的としており、紛争や自然災害の被害者や、貧困などさまざまな理由で保健医療サービスを受けられない人びとなど、その対象は多岐にわたります。また、その活動は、ほぼすべて民間からの寄付で成り立っています。(ホームページより抜粋)

 私は学生時代に、将来国連で医療に携わる仕事に就きたいと考えた時期もありましたので、国境なき医師団のことを知ってから、自分ができる範囲内で少しでも支援できればと、寄付させて頂いたりもしました。今般、クリニックの開院後、ジャパン・カインドネス協会の方のサポートを受け、「ゆび募金」を始めさせて頂ける運びとなり、心より感謝しております。

 ジャパン・カインドネス協会とは・・・
 ジャパン・カインドネス協会は、「この潤いが小さな社会貢献へ」をスローガンに、飲料自販機を通した社会貢献活動をおこなっているNPO法人であり、自販機のボタンを押すことで参加できるこの貢献は「ゆび募金」と呼ばれ、ゆび募金が生み出す社会貢献は、環境、教育、国際支援、被災者支援などに寄与しております。(ホームページより抜粋)


 なお、この度、「ゆび募金」の寄付先に、私どもが国境なき医師団を指定したので、ジャパン・カインドネス協会にとっては新規のご支援先となりました。細かいルールや歩み寄りも必要であったため、国境なき医師団の事務局とジャパン・カインドネス協会の事務局の方々に大変お骨折り頂き、心より御礼申し上げます。どうか、この小さな善意の輪が少しずつ広がっていければ、これ以上の喜びはありません。ご来院の皆様でも今回の取り組みに共感いただける方がいらっしゃいましたら、ご無理のない範囲で、ぜひご協力いただければ幸いです。


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第二回 休みましょう!

 皆様、お元気ですか?
 開院して約1ヵ月が経ちました。毎日電子カルテやデジタル機器と「格闘」しながら、ようやく少しずつ慣れて参りました。ご来院の皆様から暖かく見守っていただき、本当にありがたく存じます。スタッフを代表して、心より厚く御礼申し上げます。
 気温の変化が大きい今の時期、風邪、上気道炎が流行っているようです。連日のように、大人の方も、小さいお子さんも、鼻水や咳、発熱を主訴に受診されています。そこで、今回是非ともご提案したいのが、「休みましょう!」です。
 中国語には、「三分吃薬七分養」という諺があります。すなわち、病気を治そうとすれば、薬に頼る部分が三割、養生による効果が七割、ということです。例えば、「風邪」はウイルスによる疾患で、そのウイルスを撃退する薬はないのです。医療機関で出されている薬はあくまで症状を和らげるもの、二次感染に対するものに限られます。その間、暖かくしていただき、水分や休憩を十分摂り、ご自身の免疫力でウイルスを撃退できるよう環境を整えるのです。
 しかし、日本の方はとても真面目なので、なかなか風邪位では休もうとしません。仕事の事情で思うように休めない方や、学校や幼稚園、保育園を休まずに通うお子さん、中には習い事のサッカーに行くという方もいました。これでは、治癒までかかる時間は大幅に長引いてしまいます。
 アメリカや中国では、病気を周りの人に移さないという意味でも、治るまで休むことを推奨する傾向があり、簡単に call in sick (病欠の電話を入れる)します。もちろん、国情が違うので、一概に言えませんが、可能な範囲内で、休養を取るようにしていただきたいと思います。あまり良いことではないのですが、私もかつての勤務先で、人手不足という理由から、扁桃炎に伴う38度台の熱を押して、外来診療をこなした経験を持っています。今考えれば、色々な意味で、かなり無謀だったと思います。まだまだ時間がかかると思いますが、皆さんが気兼ねなく必要な休養を取れる環境が早く整うといいですね・・・


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第一回 はじめまして

 皆様、はじめまして、君津サンクリニック院長の孫莉玲と申します。
 平成26年11月4日(火)に、君津市内箕輪にクリニックを開院させていただきました。地域の皆様のお役に立てるよう、スタッフ一同一生懸命努力して参りますので、何卒よろしくお願いいたします。
 思い起こせば、平成5年に君津中央病院に赴任してから、君津木更津地区とのご縁ができたように思います。当時はまだ循環器内科でカテーテル検査が導入されておらず、私たちは週一回亀田総合病院に出向いて、こちらの患者さんの検査やPCI治療を行っておりました。また、君津中央病院で先輩の諸先生に可愛がっていただいたご縁で、10年くらい前に君津健康センターに入職し、地域の企業検診などに携わる傍ら、二十数年来家族ぐるみのお付き合いをしていただいている三枝病院で、毎週循環器専門外来を診させていただいております。
 昨年の今頃、将来の開業に備えて予備知識の勉強にと、たまたまある企業の「開業セミナー」に申し込んだのが、今このクリニックの立ち上げをサポートして下さっている方々との出会いの始まりでした。そして今、私を含めて、オープニングスタッフ5名の新たな出発が始まりました。数多くのデジタル機器や電子カルテを導入したこともあり、スタッフ全員とても頑張っていますが、まだまだ思うようにスピーディーに進めず、ご迷惑をおかけすることも多々あるかと思われます。どうかしばらくは大目に見て頂ければありがたく存じます。
 また、開院当初は受付け順に(病状によっては前後することがあります)診療させていただきますが、混雑の度合いによっては、予約制の導入も考えております。お気づきの点がありましたら、どうぞ随時スタッフや私にお申し付けください。
 真摯に、丁寧に患者さんやご家族の方と向き合い、皆様の思いを受け止められるようなクリニックを目指しております。末永くご指導のほど、重ねてお願い申し上げます。


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